Discommunicative Communication
http://d.hatena.ne.jp/SiroKuro/20070712/1184259684#c の小倉先生のコメントに関して簡潔に。
「被害者が気にしなければよい」との呪文で被害者をどう防備するの?: la_causette に対する追加の返信も含めて言及。
「被害者が気にしなければいいことです。だから、先生は、いじめを止めさせる気はありません」と先生に言われたら、
http://d.hatena.ne.jp/SiroKuro/20070712/1184259684#c
『その先生も虐めっ子であった』という事実だけが残りますね。
上の記事内でも言いましたが、小倉先生は「気にしなければ〜」の文面を「いじめっ子」が言うことばかり想定しています。
それを疑問に思って前回の記事を書いたのですが、ご理解いただけなかったようで残念です。
さて、本題に入りましょう。
小倉先生と私 SiroKuro は、議論している事柄が全く異なるのではないかと思うのです。
小倉先生は、次の事柄について話しています。
- 虐めの主体は加害者に存在する
- 被害者に「気にしなければいい」と言ったところで無意味である
一方、私が話しているのは次の事柄についてです。
- 被害者の心の傷を乗り越えることが出来るのは被害者だけだ*1
- 被害者に「気にしなければいい」と言うことには相応の意味がある
この相違点をご理解いただければと切に願います。
被害者を力づけるためには、この状況を近々終わらせることができるのだというメッセージを与えることであって、それにはそれを終わらせる力が必要です。
http://d.hatena.ne.jp/SiroKuro/20070712/1184259684#c
「もうすぐ終わるから、それまで耐えなさい」では、被害者は今日中に自殺します。
メッセージだけでは、被害者を救済するには不十分です。
また、いじめが止んだからといって、被害者が救済されるかといわれたら必ずしもそうではありません。
いじめられたという事実が被害者の心に深く傷跡を残している場合もあるのです。
それから、被害者は加害者に対する社会的制裁を望んでいる、というわけではないこともあるということを、元被害者の立場から表明しておきますね。
*1:周囲が手助けすることは可能であるが、行為の主体は被害者にある