実名原理主義とかいろいろ話題になってるけど

結論がどうであれ、結局「○○だから悪意でも許される」ってことは無いわけで、悪意の是非を実名匿名論の上で論ずることこそが最も避けねばならないことだと自分は思ったりする。
オッカムの剃刀実名原理主義とかとは一度切り離して論じてみてはいかがか。よく分からんが。