虐めか弄りかは全員で決めればいいんじゃないかな派

「られる側」が過剰に傷つき易い人で、殆どの人が「社会通念上」容認するような文言でも「虐めだ!」とか言い出したらどうしよう

http://d.hatena.ne.jp/pbh/20080708/1215502635

ということで、そんな俺が来ましたよ。といっても被害妄想は軽度なものだったし、ついでに小学生の頃の話だけどね。
基本的には「られる側」には弄りも虐めも回避する権利があるよね。けど「る側」の弄る権利や虐める権利を剥奪できる権利が「られる側」にあるかどうかはわからないけど。
わからない時にはわからないなりの対処があって、要は権利を剝奪する権利を与えながら、権利を剥奪する権利を剥奪できる権利も与えて良いんじゃないかと。それが社会通念による修正作業であって、その修正は「る側」が弄った後や「られる側」が弄りを回避した後でも、まだまだ十分間に合うレベル。間に合わないのなら、つまり修正不可能なら、それはむしろ社会通念どころの騒ぎじゃないんじゃないかなって思う。
さてさて、自分の経験から述べるならね、自分としては「る側」に「虐めだ!」って言った経験はあるんですよ。で、その当時を振り返ると、その言葉自体は間違ってなかったかなって。ただし「られる側」の自分に「弄りだ!」って言われたことはなかったんですよ。もしそう言われて、それを自分が受け止められていたら、だいぶ違ったんじゃないかなって思う。
結論。「る側」には「虐めだ!」って言って、「られる側」には「弄りだ!」って言えば、最もバランス取れた形になるんじゃないかなって、「られる側」経験者の俺は語ってみるよ。